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「人間はどう生きれば良いのですか?」という問いに現代の哲学者は口ごもってしまう……

現在観測 第3回

哲学は「文系」の学問なのか?

 日本において、哲学を学ぶための「哲学科」は、多くの大学で「文学部」に所属している。このことから、多くの人々は「哲学とは文学的なもの」というイメージを持っているのではないだろうか。

 たとえば、タートルネックのセーターを着た黒縁メガネの内向的な雰囲気の青年が、喫茶店で煙草をふかしながらハイデガーやサルトルの本を読み、「実存」や「アンガージュマン」について物憂げに語るというような…。

 しかし、哲学はもともと、「文学的なもの」というよりも、それと対立するものだった。

 たとえばアリストテレス、デカルト、カントは、哲学者として有名な人物である。しかし、彼らは必ずしも現代の人々が一般的にイメージするような意味での「哲学」だけを論じていたわけではない。

 アリストテレスは物体の移動に関する研究や、膨大な種の生物についての研究を行っている。デカルトの有名な「我思う故に我あり」という言葉が記されている『方法序説』という書物は、数百ページにのぼる自然科学と幾何学の研究書に付された「序文」の部分にあたる。カントは天文学や1755年のリスボン大地震についての研究などにおいても後世に残るような研究成果を挙げている。

 彼らは、世界の真の姿をありのままに写し取った知識を得るために研究を行っていたのであり、彼らの意識においてはそれらの全体を含めたものが「哲学」であったのだ。

 「哲学」という日本語は「フィロソフィア」(英語でいうと“Philosophy”)という語が明治時代に翻訳された後、定着したものである。「フィロソフィア」という語は古代ギリシャに起源を持ち、「知を愛する」という意味を持っている。つまり、本来の意味での哲学とは、現代の自然科学者たちが行っているように、世界についての知識を探求すること、その行為そのもののことを意味していたのである。

 そしてその対象は自然界だけに限らず、社会の制度や人間の文化、生き方なども含まれる。だから「哲学」という言葉は様々な学問の内の一つのジャンルではなく、自然科学、社会科学、人文科学の全てを含む、世界や人間についての「真理」を探求する学問的な行為そのもののことを意味しているのだ。

 哲学によって探求される「真理」とはあやふやで曖昧なものではなく、誰にとっても同じではっきりとした、明晰で論理的かつ普遍的なものでなければならない。たとえば、ある考え方が真理であると認められるためには、論理的に筋が通っており、同じ条件であれば誰がどこで実験を行っても同じ結果が再現される必要がある。

 このような哲学観を前提として、古代ギリシャの哲学者であるプラトンは、真理を探求する「哲学」と、曖昧かつ情緒的で虚構に基づく「詩」や「物語」を対置し、哲人王が統治する国家から詩人を追放する必要性を論じた。

 哲学はもともと文学的なものではなく、むしろ文学と対立するものとして位置付けられていたということが、こういったことからもわかるのではないだろうか。

 一方で、デカルトやカントに代表される近代の哲学は、「真理とは何か」ということを直接探求する以前に「【真理とは何か】という知識を、人間はどうやって得ているのか」ということを問題としていた。

 たとえば、【地球は太陽の周りを回っている】ということが世界についての真理であるとする。人間がそれを知るのは、心の中にある「理性」や「知性」によってである。しかし、この「理性」や「知性」は万能ではない。一人の人間が宇宙の始めから終わりまでのあらゆる出来事を知識として把握する…ということは不可能だからである。

 ということは、人間が知り得る限りの真理を正確に把握するためには、まずは「理性」や「知性」の限界を明らかにすることによって、「人間は何を知ることが出来て何を知ることが出来ないのか」という範囲を、しっかりと明らかにしなければならない。

 そこで、デカルトやカントなど、近代の「哲学者」たちは、哲学によって世界の真理を明らかにする前に、まず「理性」や「知性」を用いるための方法について、研究を行ったのである。そういった意味では、厳密にいうとこれは哲学的な探求を行うための「下準備」に過ぎないものであると言える。

 それでもデカルトやカントなど、近代の哲学者たちは、「究極的な真理」と「全ての人間にとっての正しい生き方」の存在を信じ、それを探求して論じようとしていた。むしろ、それをより正確にありのままに「鏡」に写し取るために、「鏡」の歪みや曇りを取り除こうとしていたのである。

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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